不思議を科学する

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見えるか見えないかの境界

 音には聞こえるかどうかの境界があり、匂いも感じ取ることができるかどうかの境界があります。小さな音は聞こえませんが、十分に大きな音は聞こえます。弱い匂いは感じられませんが、強い匂いは感じ取ることができます。

 聞こえないほど小さな音を少しずつ大きくしていくと、聞こえるようになります。しかし、いつも聞こえるわけではなく、最初は10回音が鳴ったら、1~2回聞こえるというレベルです。さらに音を大きくしていくと10回のうち5回ほど聞こえるようになり、そして8~9回聞こえるようになり、ついには10回鳴れば10回とも聞こえるようになります。このように、聞こえるかどうかの境目はあいまいです。一般に聞こえるかどうかの境目は、10回のうち5回聞こえるときの音の大きさ、つまり1/2の確率で聞こえる音の大きさを指します。

 刺激を感じ取れるかどうかの境界を閾値(いきち)といいます。閾値はいつも一定ではなく、周りの条件によって変わります。静かな中では聞き取れる音も、騒音がするところでは、音の閾値は高くなり聞き取ることができません。

 暗い中で見える光も、周りが明るいと閾値が高くなり、見えなくなります。暗い山の中や離島では6等星まで見えますが、東京の明るい夜空では、3等星くらいまでしか見ることができません。

 また、過去の経験によって閾値が変わる感覚があります。ある匂いをいつも嗅いでいると、閾値は徐々に高くなり、弱い匂いでは感じ取れなくなります。自分の体臭に鈍感になるのもそのためです。

 光の場合は、過去の経験による閾値の変化は短時間で起こります。

 夜寝るときに電気を消した直後は、部屋の中は暗くて見えませんが、時間とともに閾値は下がり、徐々に部屋のなかのものが見えるようになります。これを暗順応と呼んでいます。暗順応に要する時間は条件により変わりますが、数分から30分程度かかります。

 逆に、暗いところにいて急に灯りをつけるとしばらくの間、まぶしさを感じますが、やがてまぶしさはなくなっていきます。暗いところから明るいところに目が慣れることを明順応と呼んでいます。明順応にかかる時間は暗順応より短く、1~2分ほどです。

 単純な感覚だけでなく、より高次の感覚においても過去の経験により閾値は変わります。例えばおいしさについてみてみましょう。いつも粗食でいて、たまにごちそうを食べるととてもおいしく感じます。しかし、いつもごちそうばかりを食べていると、それが普通になり、特においしいとは感じなくなります。ごちそうをいつも食べることにより、おいしさの閾値が上がっているのです。

 ほかの感覚の閾値も度合いは異なるかもしれませんが、それまでの経験の影響を受けます。